emy's 超常現象ファイル*『呪い』のカタチ☆

〜江戸時代の浮世絵『四代目市川小団次の於岩ぼうこん』(歌川国芳画)〜


一般的に『呪い』と言う言葉は

聞こえの良いものではなく、

霊的手段を使って呪いたい相手や状況を災いや

不運に陥れることをイメージしますよね。


日本も平安時代に

そんな『呪詛』や『調伏(ちょうぶく)』を扱う

特別な力を持った陰陽師たちが実在しました。


しかし、本来『呪詛』とは

古代のシャーマンが祈願や心願成就など

どちらかと言うと

災い事を跳ね除けて開運へ向かうための

特別神事。


それがいつしか『呪い』=『不幸へ導く』と

言うイメージが植え付けられてしまい、

本来の『呪い』=『まじない』の捉え方が

遠のいてしまいました。


しかも、昔の『呪い』の対象は

人ではなく、天災をもたらす

荒ぶる神々を鎮める事でしたけれど

現代では『呪い』対象が同じ人間に

変わってしまい、

人が人を呪う・・と言う

恐ろしいスパイラルが出来てしまいました。


どうして人が人に対して『呪詛』を

かけるようになってしまったのか?


それは人間には喜怒哀楽の感情を

持っていて

時にその感情が『嫉妬』や『恨み』など

歪んだ形へと変化してしまうからです。


動物達に『呪い』の概念はありません。

彼らは目に見えて『生きる』か『死ぬか』

がテーマであり、

もっと言えば人間達によって

自分達の住処を破壊されたとしても

人間を『呪う』行動はしませんよね。


住処を追われた動物達が

人間の生活圏内に侵入し、

時に襲って来るのは

『嫉妬』でも『恨み』でもなく

『生きる』か『死ぬか』の行動。


そんな純粋に生きている動物に対して

理想では上手く共存して行きたいのですが

なかなか難しい所もあり解決策を

見出せていないのも現実です。


でも、情念が深い日本人は

そんな浮かばれない動物達の御霊も沈めようと

古代から鎮魂祭を執り行って来ました。


動物も、自然も、そして魂を受け継いで来た

先祖に対しても

鎮魂祭は年間を通じて現代に受け継がれて来ています。


最初に述べたように『呪い』は本来、

魂が安らかに鎮まるためのものなのです。


また古典的なニッポンの『幽霊話』。

四谷怪談、番長皿屋敷、そして

江戸時代の『雨月物語』に登場する

世にも恐ろしい幽霊たちのお話は

現代でも読み手の心を惹きつけています。


『呪い』『恨み』・・

その根底がベースとなる物語ですが

日本人らしい注目すべき所は

『幽霊』になってしまった原因、

その背景の悲しい物語が必ず潜んでいて

読者はただ『怖い!!』と感じるだけでなく

その幽霊たちの悲しい原因の部分に共感をし、

『それだったら仕方ないよね』と思う部分です。

そう・・

日本人は『呪い』は単に自分のエゴイスティックな

感情だけで派生しているものではなく

それに至るまでの原因や根拠も共感できる感受性豊かな

DNAを持ち合わせているのです。


だから『呪い』は特別なものであり、

日常的に、もっと言えばカジュアル感覚で

受け止めていないのも事実。


それでは『呪い』は本当に自分の思い通りの結果を

生み出してくれるのか?

その辺りを次回は書き綴りたいと思います。



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